エホバの証人「輸血拒否」 患者が「意識不明」の場合はどうなるのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130423-00000332-bengocom-soci


 記事中も引用される所謂エホバの証人輸血拒否事件最高裁判決(平成12年2月29日第三小法廷判決民集54巻2号582頁)ですが、僕が思ったのはこの弁護士の理解は若干”アヤシイ”ということです。

 この裁判で最終的に上告審で問題になったのは医師の説明義務違反によって患者の自己決定権が侵害されたということです。
 宗教が絡んでいますが、この判例と信教の自由を結びつけるのは若干疑問です。どちらかというと医師の説明がなかったため自己決定の機会が奪われることとなったことに対する侵害であり、信教上の良心の自由が侵害されたとかいう問題ではないのではないかと(つまり輸血行為自体は問題ではなかったと思います。この患者は輸血を伴う手術の結果しないのと比べて4年長く生きてる)。
 
 この判決は「本件の事実関係を前提とした事例判決」であることが調査官解説でも言及されていますし、射程はそこまで広くないと解するべきでしょう。
 そして、同解説では、「交通事故直後等において本人の意思を確認しがたい場合」については本判決が直接適用され得るものではない述べています。そもそもそういった場合は説明義務違反の問題が出てこないのではと思います。

 この判決の重要性は、エホバの証人の輸血拒否に対して輸血した場合には信教の自由が問題となり損害賠償が認められたと解するよりも、医師の説明義務違反のために、ある治療行為を受けるか否かについてを意思決定する権利が患者の人格権の一内容として尊重されることとなったという点を明確にしたと解するべきです(この判決ではあくまで重要なのは自己決定権の侵害であり、宗教上の理由で拒絶したこと自体はそこまで意義がるものかは疑問です)。
 したがって、損害賠償額はわずか55万円(50万円の慰謝料と5万円の弁護士費用)しか認められないのです(もともとの請求額は1000万円、原告は大赤字でしょうね)。

コメント

やまぐー
やまぐー
2013年4月25日0:14

本文とあんま関係ないけど例えば、川でおぼれてる子どもを助けずに見殺しにした場合、その親から訴えられたら裁判負けちゃうもんなの?

その人が泳げる泳げないとかでも判決変わってくる?

カブル
2013年4月25日1:08

基本的に見殺しは、刑法上は罰せられないし、民事上の責任も生じないかな。すくなくとも法律上「やらないといけない義務(作為義務)」がある人にしか見殺しの責任は問えないからね(この義務がどこから生じるかはめんどくさいので割愛)。

ただ、その周辺に自分しかいない状況だったらその状況から作為義務が発生する可能性はある。
もちろん客観的に義務が生じうる状況であっても実際にそういったことを行うことができたかは考慮されてやっぱり作為義務は否定されるかな、不可能な場合ってのはその人が泳げない場合とか川が氾濫していて泳げない場合がそうだね。
ただ泳げるから救助が可能と評価できるわけではないと思う、泳いで助けに行くのって訓練を積まないと危険だから。
川だと救助を呼びに行っても結果が防止できる可能性も低いだろうから、救助を呼ぶ義務も生じえないかも。

ま、ちょっと書き足りないから今度記事にするよ。

やまぐー
やまぐー
2013年4月25日2:21

ありがとー。

難しいな法律ってw

カブル
2013年4月25日10:39

簡単にいうと泳ぎに行くまではしなくていいよってことかな

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